ハーモニカ

 先日、大寺さんと云う木工の師匠を訪ねた。ひとしきり道具談義をしたあと音楽の話になった。大寺さんは「楽譜は読めない」とはにかみながら岩波文庫の「日本童謡集」を見せてくれた。作業台の隅っこにある古びたハーモニカの箱を見つけた私は演奏を所望した。
 大寺さんは「私は音楽は苦手で..」と言いながらも、私の願いを聞いてハーモニカを聴かせてくれた。まるで少年のように目をキラキラと輝かせながら、いとも軽やかにメロディーを奏でる姿にしばし感動した。木工が好きな私は、この日は道具の話など教えを乞いに行ったのだが、思いがけない発見をしてうれしくなった。

 以前にもう一人私にハーモニカを聴かせてくれた方がいる、画家の武市善次郎さんだ。飲み友達でもある。初めてあって意気投合して行った行き付けの飲み屋さんに、武市さんはハーモニカをキープしていた。ここに来るといつもハーモニカを取り出して演奏するらしい。お酒が入っていても、武市さんの演奏するハーモニカの腕は確かなもので、店中がなつかしい音色に満たされて、一同拍手喝采をしたものだった。

 私が初めて手にした楽器は、やはりハーモニカだった。幼い頃に父がお土産に買ってくれたものだ。ハーモニカと言う名前が示すように和音(ハーモニー)を演奏するのに都合良くできている。吹けば主和音、吸えば属和音が出るように出来ていて、吹いたり吸ったりしているだけでも、演奏している気分になれたし、聞き覚えのある曲なら、さぐっているうちに何とかメロディーになってくるものだった。その頃、小学校の音楽の時間でもよく使われていたハーモニカは、いつの間にか鍵盤ハーモニカにその座を奪われてしまった。おそらく教育目的に開発された鍵盤ハーモニカ、合成樹脂製のボディーもさる事ながら、音色たるやお世辞にも美しいとは言えないが、ピアノのような鍵盤を持っている事が採用の強力な理由らしい。
 はたして学校を卒業しても鍵盤ハーモニカの演奏を続ける人がいるのだろうか? 一方、古びた箱に入った一本のハーモニカの音色が、時代を越えていつまでも人に安らぎを与えることが出来る事は、前述のお二方の演奏が物語っている。

 年老いても、音楽を愛し、楽器を演奏したい、こんな気持ちをおこさせてくれるハーモニカ。ハーモニカの教育現場からの衰退は、日本の音楽教育そのものを物語っている。


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