心の教育

 満開の桜を見ると入学式だ。一番うれしかった小学校の入学式、息子や娘の入学式はもちろんのこと、自分の入学式だって覚えている。家庭を離れて、先生や仲間たちと暮らす新しい生活への希望と期待に、親も子供も胸がいっぱいになる。
家庭が崩壊し、学校が荒廃しつつあると騒がれている今日、現実の学校教育の中で、子供たちの心を豊かに育てるために、親たちは学校に何を期待すればいいのだろう。

 このほど発表された、中央教育審議会の「心の教育に関する小委員会」の中間報告は、精神的に追いつめらた現代の子供たちに、心の教育の重要性を再確認させると言う意味合いから、学校教育と家庭教育の在り方を問い直す形となっている。自由、平等、権利などを前面に押し出した戦後の教育に比較して、義務、しつけ、道徳などの必要性を強調し、思いやり、ルールと言った言葉によって心の教育を推進している。

 私たちは大いに未来を見誤ってきた。よかれと思ってやったことが結果的にマイナスの効果をもたらしている例がたくさんある。教育もまたしかりである。はき違えた自由や、平等の感覚は、権利ばかりを主張する小賢しい悪魔をも生みだし、悪いことを悪いと叱ったりする、当たり前の感覚を受け付けなくなっているのではないだろうか?

 息子が小学生の頃、夕食時に「先生が、神様なんていない、と言ったよ」という。悲しそうな顔の息子を前に、私は「先生は、良く知らないんだね」と言うにとどめたが、内心は穏やかではなかった。子供たちの前で無神論者を名乗ってはばからない先生にどうやって心の教育が出来るんだろう。どうやって難しい道徳の概念を伝えることが出来るというのだろう。道徳教育が思ったように効果を上げていないのは、もともと一つのものであった宗教と道徳を、切り離し骨抜きにして、形ばかりの道徳教育にせざるを得なかったからではないのだろうか。

 一切の宗教的な教育が否定されている現行の憲法下での心の教育は、きわめて難しい事といわねばならないが、最も大切であり、最初にやらねばならない事である。この問題を棚上げしてきた結果が、今日の家庭、学校、社会の風潮を生み出している。中教審の中間報告の意図するように、まずは身近なところから実践的に心を育んで行くしかないだろう。


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