でんち

 幼い頃、我が家では懐中電灯のことをなぜか「でんち」と呼んでいた。「でんち」は「電池」であって乾電池のことをよぶ言葉だと気付いたのは、何年か後のことだった。きっとその頃は乾電池の用途の多くが、懐中電灯であったために、懐中電灯そのものを「でんち」と呼んでいたのだろう。
 当時の乾電池は外ケースが亜鉛で出来ていて、外側に印刷されたボール紙が巻かれていた。現在のもののように丈夫でなかったので、しょっちゅう液漏れを起こしていたし、分解も容易だった。コンクリートの地面にたたきつけて、こわして、中に入っている炭素棒をとりだして遊んだりした。パワーの切れた乾電池を手に、暖めると復活するとか、強くぶつけるとパワーが出るとか、怪しげな再生法も試みた。捨てるに捨てられず、引き出しいっぱいにため込んでいたことも懐かしい。

 さて、時代は代わりトランジスタの発明以来、ラジオをはじめ半導体化された電気製品は年を追って小型化され、電池で動くものが多くなった。小型の電気製品、特にラジカセなどのオーディオ製品の普及は、電池の大量消費時代を生み出した。ニッケルカドミウム、やニッケル水素など云った充電のできる二次電池を使用するようになっているものもあるが、一次電池であるマンガン電池や、アルカリ電池なども多く使われている。これらの電池には「充電しないで下さい」旨の表記があり、消費者は見かけはまだまだ新品の乾電池を、泣く泣く産業廃棄物にすることを余儀なくされる。

 最近では、こうした一次電池の充電も出来るというふれ込みで販売されている充電器もある。コンピューター技術によって、むずかしかった充電技術が可能になったと言うわけだ。乾電池メーカーは「充電しないで下さい」というが、しかるべき方法を取れば充電は出きるし、とくにアルカリ電池などは充電再利用によって、10数倍の寿命を得られると云うから、購入費用、廃棄物処理など考え合わせるとの相当の資源節約となる。

 本来なら乾電池のメーカーが充電器を開発すればいいものができるように思うのだが、どうもそんなつもりはないらしい。資源の無駄遣いが問い直される今日、メーカーも乾電池売るばかりでなく、安心して充電できるシステムをも合わせて考えるべきだろう。

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