モノ作り

 日本人の器用さや、技術が優れていると教わったのは小学校時代だったと思うが、現在の日本にもあてはまるのだろうか。確かに戦後日本人の技術は産業復興の原動力となったし、現在も企業レベルで言うならば日本企業の技術水準は、高いものであることに異論はない。だが個人レベルでのモノ作りとなると、日本の事情はかなりお寒い現状なのではないだろうか?

 鉛筆を削れない子から始まった、道具への認識のなさ、自分の手でものを切ったり削ったりする事への体験の少なさは、改善されそうもない。学校教育の中でこうした体験の重要性は認識されているはずなのだが、現実には成績を左右する教科の指導に重点がおかれてしまった結果、ものを作りたがらない子や、作れない子に育ってしまうのではないだろうか。

 人間の歴史はモノ作りの歴史でもあった。モノを作りたい欲求は、本来人間に備わっているはずだ。カルチャーセンターの手作り○○教室の人気はなかなかと聴く。日常の煩瑣な仕事を離れて、モノ作りに没頭する時、失われかけているものを取り返すことが出来るのだろう。最近はホームセンターもかなり増えて、家庭の修理や日曜大工の材料も手軽に買えるようになったが、まだまだモノ作りを楽しむには、その方法を著した著作物も少ない。

 文化の違いとはいえ、アメリカには個人が趣味でモノ作りを楽しむノウハウを著したものが、山のようにあり、素人がものを作るのに必要な道具や材料も実に多く整備されている。日本ではそうしたノウハウは技術者の経験として、伝えられてはいるが、門外不出とされる場合もあり、文書などの形で世に残される礼は少ない。何かを作ろうとしてもそれに答えてくれる書物もまだまだ不十分な現状だ。

 経済が低迷するいまこそ、モノを作り続けてきた、器用な日本人の手を取り戻す努力が必要なのではないだろうか。NHKのドラマ「やんちゃくれ」で、土地転がしなどのバブル経済で倒産した重光興産の社長を前に、鋳物工場に勤めていた金ちゃんはポツリと言う「一緒に鋳物作らへんか、モノ作りはええでぇ..」。ドラマはまだ完結していないが、こつこつとモノを作り続ける男と、富を夢見てモノ作りを忘れた男の対比が、象徴的に描かれていて小気味良かった。



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