原発と温暖化対策

徳島新聞「視点」1988/10/01

「原発増設を推進」6月17日付けの徳島新聞第一面の見出しには驚かされた。6月16日に発表された地球温暖化対策推進本部の大綱案は、地球温暖化問題の解決に向けた取り組みは不可欠とし、原子力発電所の増設を推進した内容となっている。昨年12月温暖化防止京都会議で交わされた、 6%の温室効果ガス削減目標に向かい、数字の上でのつじつま合わせとして、温暖化防止の切り札の宣伝文句とともに原発増設を提案したものと思われるが、原子力に頼るという安直な提案を出した地球温暖化対策推進本部の無能ぶりを露呈する結果となっている。
 動燃の事故隠しに始まり、原発にまつわる数々の虚偽の報告、国の原子力政策の信用はもはや地に落ちているといっても過言ではない。にも関わらず、先進各国の原発廃止の流れに逆らい、原発の推進という対策を打ち出す裏には、電力界、産業界の経済構造が大きく作用しているのではないだろうか。
 原発は一見CO2に対してクリーンであるかのように見えるが、実のところ燃料となるウランの採掘に始まり、燃料の輸送、発電所の建設、廃棄物処理に至るまで大量の石油を消費しCO2をまき散らす。しかもエネルギー効率は悪いと来ているし、原発が出来れば大量の電気消費を促すことにもなる。温排水によるの水温の上昇などを考えても、地球の温暖化対策としては、全く現実味を欠いた話である。原発を取り巻く社会は同時に石油や他の資源をも大量に消費する。こうした大量消費を望む社会の姿勢が、バブル経済を生みだし、自然を破壊し続けて来たのではなかったのか。コジェネレーション、風力発電、太陽光発電、といった比較的小規模なシステムの推進こそ、バブル経済崩壊後のこれからのエネルギー政策、ひいては温暖化対策に必要な事なのではないのか。
 戦後、政府や産業界の基本的な価値観が、石油などの化石燃料の大量消費を招き、見せかけの繁栄を築いてきた。しかもバブル崩壊後もこうした体質は変わらない。同様の手口で経済的繁栄を取り戻そうとする限り、エネルギーの大量消費は変わらないし、地球環境もますます悪化する。バブルの申し子ともいえる原発の推進は、こうした政府や産業界の体質を如実に物語っている。

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