援助交際

 私には18才の娘がいる。娘と私はどう見ても親子の顔のはずである。少し前までは一緒にいると、「プッ」と吹き出すぐらいに、よく似ていると言われた。少し大人になって、母親の方に似てきたかなと思うようになった最近のことである。

 小雨の降る日曜日、娘と二人して一つの傘の下、新町橋を歩いていた。すれ違いざまに、我々の方を見ながらひそひそ語り合う女子高生らしき二人、「まさかぁ~親子とちゃうわよ、援助交際とちゃうで!」とはっきりと聞き取れた。経済力のない若い女性が、俗に言うオジサンたちに経済的な援助を受けるために交際をすることをこう呼ぶらしい。

 またある時は、某レストランでのこと、テーブルに向かい合っている年輩の女性二人組、我々が隣のテーブルについたときから、そわそわし出し、声が小さくなり、しばしばこちらに視線を投げかける。顔を寄せ合って、ひそひそと内緒話をしている風であったが、次第に視線に遠慮がなくなり、食事がはじまり、互いの料理を取り替えている様を見るに及んで、「まあっ、なんてことっ!」と声にこそ出さなかったが、こちらを見てあからさまに嫌悪の表情をしてみせる。スーツにネクタイという典型的なオジサンスタイルの私と、やや童顔の娘が食事を共にしていると、どうもそのような仲に見えてしまうらしい。

 外へ出てから娘が言った「隣の人たち、じろじろ見て変だったね、なんか勘違いしてるのかしら?」 親子が仲良くして何が悪いのだと言いたいところだが、近頃は年頃の娘が父親と肩を並べて歩く事自体珍しいらしい。娘に聴いても我が家の場合は特別だという。よそのうちは仲が悪いのかというと、そういうわけでもない。きっと表現の仕方が違うだけなのだろう。娘は父親と歩くのを嫌がり、息子は母親と歩くのを嫌がる。本当は嫌ではないのだが、同じ年頃の仲間たちに見られるのはかっこわるい、はずかしいというのが本音だろう。

 父親としては、娘とそういう風な間柄にみられる事には抵抗はないし、娘も特に気にしてる様子でもないので、とやかく言うべき問題ではないのだが、世の風潮とはいえ親子が仲良く肩を並べて歩く事も少なくなれば、それを見る人の目も特別なものに変わってきたと言うことだろうか?
 喜ぶべきか、悲しむべきか、複雑な感情にオジサンの心は揺れ動くのである。

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