時計

 高校の入学祝いにもらった腕時計。その頃の腕時計は貴重品で、17石だ21石だと軸受けに使われている宝石の数を自慢し合い大切にしていた。大学生時代には、大切な質草として何度も窮地を救ってくれたものだ。年に何度かお目にかかっていたその腕時計も、最後は質草として流れてしまい、以来私は腕時計をしなくなった。時計なんかなくても生きて行けるという開き直りと、時間に縛られたくないと言う思いがあったからだ。

 電子機器の発達は時計の価値観を180度塗り替えてしまった。高級時計は別としてデジタル表示の時計は通信機器や電化製品は言うに及ばず、ボールペンや玩具にまでオマケとして付いている。周りには時計が溢れるようになり、昔のように商店の奥を覗いて時間を確かめる必要もなくなった。クォーツ時計は水晶の振動を細かく分周して一秒の単位を作り出しているので、大変狂いが少なく正確である。そのせいか昨今は待ち合わせにも殆ど1分以内の正確さで現場に臨む人が多くなっているようだ。

 初期のデジタル時計は、電池の消耗が激しく実用には程遠かったが、それでも高価な最新のデジタル時計をこれ見よがしに自慢している輩もいた。デジタル時計が世に出て四半世紀、12時間で一回りするアナログ時計は、一日の生活のリズムを表しているようで、直感的に時間の概念をとらえ易いのに比べて、デジタルの時刻表示は時間の連続性をとらえることが難しい。そんな反省もあったのだろうか、最近はアナログ時計が見直されているようだ。が、同時に時刻の表現に8時10分前というような表現は少なくなり、7時50分と正確に時刻を伝える人が多くなったのも事実だ。

 ミヒャエル・エンデの小説「モモ」に登場する灰色の男は、時間の大切さと、如何に無駄な時間を浪費しているかを説き、善良な人間を時間の奴隷とし、結局は人々から時間を奪ってしまう悪い男として描かれている。これだけ時計が氾濫していて、時間を大切にしているようなのに、人々には全く時間がない現代、きっとみんな灰色の男にだまされているのだろう。子供達に人気のある「おじいさんの古時計」に歌われる、古い柱時計のチクタク音とボ~ンボ~ンと時を告げる音は、一日が永かった幼い頃に聴いたせいか、のんびりとした遠い昔を思い出させてくれる。あの頃は時計は一家に一台しかなかった。

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