母の心臓病

 母が心臓病を患ったのは13年前、内科医の診察を受け、胃カメラを飲んでいる最中に心筋梗塞の発作を起こし、そのまま病院にかつぎ込まれたのだ。病院から電話をもらった私は、ICUに直行し、ベッドに寝ている母と対面した。母は自分の置かれている状況が飲み込めず少々混乱していた。医者は、すぐにも手術の必要があったのだが、母の同意が得られず処置が遅れた、と言って私を攻めた。私も混乱した頭で、とにかく医者の言うことを聞くようにと母を説得した。母が納得した旨を医者に報告したが、担当医はもう遅いといった意味の言葉をはいて、非常に不機嫌であった。その後母はその病院で療養を続けていたが、病院内の仲間達との会話のうちに、カテーテルのつらさ、風船、バイパスといった言葉の意味、自分の身の上に降りかかった状況がよく分かってきたという。

 その後母と共に担当医の説明を受けた。画面に映し出された母の心臓から出ている太いパイプの一本の一部分がくびれたようになっていて、ほぼ90%詰まった状態である。その為に心臓の動き方が異常であり、これを放っておいては命が危険な状態であるから、バイパス手術が必要だ。こんな説明を受けながら事の重大さに驚いていた。

 一月がたち一度退院することになった。何度かの診察の中で、担当医はバイパス手術の必要性を強く説き、母も手術に同意し日取りも決まった。退院後も診察は欠かさずいっていたが、私は手術を怖がる母をみて、手術をしなくても、無理をしないで静かに暮らせばいいのではないかと言った。兄達も手術には乗り気ではなかった。結局家族会議のような形になり、手術はやめようと言うことになった。母が担当医にそのことを言ったとき、「あっそう、じゃ取り消しときます」といって手帳の予約を取り消しただけだった。強力に手術を勧められると思っていた母は、なかば拍子抜けしたそうだ。

 あれから13年、81才の母はすこぶる元気だ。まだまだ仕事もしているし、月に何度かは大阪や京都までも出かけている。あの当時、同じ部屋に入院していた人たちの中には、手術を繰り返し5年生きられた人、10年生きられた人、亡くなった人もいると聞く。私の母は手術をしなかったおかげで命拾いをしたのだ、と言う思いが、年を重ねる毎に確信めいたものとなってくる。


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