生演奏と録音


 「感動は演奏家と聴衆の間にある」これはフルトヴェングラーの言葉だ。演奏行為は演奏するものと、聴くものがいて初めて成り立つものであるし、両者の気持ちが一致したときに、初めて感動が生まれるものである。 最近はデジタル録音技術の進歩によって、高音質で低価格のCDが普及し、誰でも手軽に名演奏を聴けるようになったけれど、研究用として聴く以外、私にはどうもなじめない。


 録音されたものは、気楽に聴けるという意味ではいいかもしれないが、生の演奏とは別のものと考えた方がいい。録音を通してのメッセージの伝え方は、実時間的に演奏を通じて話しかけるのとは、明らかに違っているはずだからだ。

 日常あらゆるメディアを通して音楽を耳にするが、その殆どは高度な録音技術によって演出されたものだ。こんな演奏もどきばかりを聴かされていていいのだろうか? 経済的に急成長してきたマスメディア、音楽産業は利益追及のあまり、過剰音楽の弊害を無視し続けてきたようにも思える。

 録音技術の発達とパーソナル化は今後さらに進み、ますます生演奏との距離は遠のいて行く事だろう。演奏そのものがシミュレーションできる可能性もある。すでに欧米では聴衆がインタラクティヴに参加できるCDも試作されている。近い将来、演奏家のデータ、サンプル音源、楽曲のデータなどを組み合せて、名演奏家に珍曲を弾かせる事だって出来る事になるかもしれない。といって、それにどれほどの意味があるのかは疑問だが...

 感動は名演奏家ばかりが生み出すものではない、演奏技術の巧拙にかかわらず、生の演奏には大きな魅力がある。弾き手と聴き手があり、互いの気持ちが通じたときには大きな感動を呼び起こす。全ての演奏する立場の人々にはその力が与えられている。身近な演奏で感動できるような機会ができたら、それにまさるものはないだろう。


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