音楽家の憂鬱

 音楽家というと聞こえはよいが、実際に音楽家として世に出て、生計を立てて行くことは並大抵ではない。音楽家にもいろんな意味があるが、ここでは演奏で生計をたててゆこうとする、演奏家の事を話題にしたい。

 日本には現在約30のプロのオーケストラがあるが、これに所属している人たちは殆ど演奏で生計を立てている人たちで、決して給料は高くはないが、音楽家仲間から言えば比較的安定しているという意味で、恵まれた人たちと言える。だが、各オーケストラとも新入団員の採用はまれである。欠員でもあろうものなら全国から志願者が殺到する。それほど演奏家には仕事の場がないのだ。

 巷にあふれる音楽は、テレビ、ラジオ、コマーシャルに至るまで、音楽はコンピューター化され、生の演奏が使われる事は急速に少なくなってきた。従来はオーケストラを雇い、スタジオで何日もかかって録音していたような壮大な音楽でさえ、コンピュータを使う事により、それらしいものをたった一人で制作できる世の中になった。手っ取り早くて制作費を安く押さえられることから、今後もこうしたケースは増え続けるだろう。

 かように、コンピュータ音楽が世の中を席巻し、シンセサイザーによる合成音が当たり前として受け入れられるようになった結果、スタジオ音楽家たちは職場を失い、壊滅的な打撃を受けてしまった。かつてカラオケが世に出たときに、生演奏の場が少なくなるのではと、大騒ぎしたが、現在ではカラオケの伴奏そのものさえ、コンピュータによる合成音にとって変わられてしまった。こうしたスタジオ音楽の仕事もしながら、やっと経営が成り立っているオーケストラも、仕事は減り楽団員の給与もままならず、スポンサーさがしに骨を折ってみれば、バブル崩壊後の大不況で、企業の財布の紐は堅い。事態は、歴史あるオーケストラの存続さえ脅かす危機的状況といえるのだ。

 一方、子供達に本当の生演奏の良さを知ってもらう為に、自主公演を開催したり、学校や幼稚園に働きかけたり、公共の機関にカタログを送り届けたり、自分たちで演奏の場を切り開いていこうとする演奏家達もいる。こんな地道な運動をやっていけば、やがて街角には環境に優しい音楽が戻ってくるかもしれない..と。


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